偲ばれると喜ぶ
誰にでも亡くした大切な人がいますが、私たちは日常生活を送る上で、一瞬たりともその大切な人を忘れずにいるのは難しいと思います。それでも亡くなった人は、折に触れて懐かしく思い出してもらえることがあるとしたら、とても喜びます。
偲ぶきっかけは、特定の季節や場所かもしれませんし、故人が生前大切にしていたモノかもしれません。
先日、亡き生みの母の生家を訪ね、叔母と共に母の雛人形の飾り付けをしました。叔母は私の母である姉が嫁いで以降、亡くなってからも毎年、姉の雛人形を自室に飾り続けてきました。昨年、初めてその雛人形を見せてもらったのですが、その時に、今年は母を偲びながら一緒に飾り付けをしてみたいと思ったのです。
私を産んだ翌日に亡くなった母とは、生前のつながりをリアルに感じることはできませんが、叔母と一緒に飾り付けをしていると、母もその場に居て、喜びつつ温かく見守ってくれていることを感じずにはいられませんでした。
誰かを大切に想う気持ちは、この世界に生きている間のみに留まらず、肉体から離れ、魂だけの存在となってもなお、それまでと同様に、もしくはそれまで以上に大切な人に向けられています。見えなくても、感じられなくても、この世を生きる人を慈愛に満ちたエネルギーで包んでくれているのです。
つながるために必要なこと
近親者や親しい人と、必ずしも良好なまま別れを迎えることばかりではないと思います。でも、もし仮に両者の間にわだかまりを残したまま相手が亡くなったとしても、魂だけの存在になると、遺された人の幸せだけを願うようになります。
すぐには信じられないかもしれませんが、そのことを認識し、少しずつでも受け入れられるようになると、相手の魂とのつながりが開放されていきます。
私たちは生まれる前に、魂同士が合意の上で、お互いの役割を決めます。そして、生まれてからは意識レベルでは全く認識せずにその役割に徹します。例えどんな酷い仕打ちを受けたり、寂しい思いをさせられたりしたとしても、相手の魂は、あなたの魂の成長や気づきのために、約束通りにその役割を担っているに過ぎないのです。
相手が死後、すべてのシナリオを思い出して理解し、大きな愛で包もうとしていても、こちらが自責や後悔、疑念や怒りなどを強く抱いていたとしたら、全く異質なエネルギーでは交流せず、循環しないのは、何となく想像がつくのではないでしょうか。こちらがネガティブな感情を抱えたままの状態では、相手からの深い愛のエネルギーを遮断し、つながることを妨げてしまいます。
わだかまりが残ったまま、大切な相手が亡くなってしまったとしても、それさえも双方がそれぞれの人生のシナリオに組み入れてきていて、相手は魂だけの存在、こちらは生身の人間の状態で、本来の愛でつながった関係性を取り戻すことだってあるのです。
私たちは、常に大切な人の想いに包まれ、守られながら生きている…そう思うだけで、その絆を強固にすることができます。そして、つながりができると、亡き人の想いやその存在自体を、何らかのかたちでサインとして受け取れるようになります。
それは、お線香の煙の独特な揺れ方かもしれませんし、突如として吹く心地よい風かもしれませんし、どこからともなく現れた蝶かもしれません。