つい他人と比べてしまう…
どうしても比べることをやめられない…
“比べてしまうこと”に悩む人は多いと思います。
でも、「誰かと、何かと比べることは、人生において必要不可欠な行為」と言ったら、意外に思うでしょうか?
比べてみなければ、わからない
私たちは、物事を相対的に見ないと、それがどういう状態なのかがわかりません。
そうなると、自分自身がどういう人間かを知ることにしても同じで、周りと比べることで色々と見えてくることがあります。
問題の本質は、比べることにあるのではなく、比べた後に、勝った・負けた、優れている・劣っている、上か・下か、といったジャッジ(判断・判定)を下すことです。そうしたジャッジを下すことが、自分を卑下する、劣等感を抱く、優越感をもつ、マウントするといったことにつながっていきます。そして、気づかないうちに、「自分を見失ったり、自分ではない何者かになろうとしたりする」のです。
“有るもの”に目を向ける
私たちは、今回の人生で必要なモノ(才能や資質、容姿や家族構成など)は授かっています。なぜなら、すべて自分で決めた上で生まれてきているからです。
苦手意識なく淡々とこなせることや、無理せずにすんなりとできることなどに、才能や資質を見出すことができます。そして、容姿や家族構成は、その状態だからこそ、向き合える課題があり、果たせる役割があります。
私たちは、備わっていないものを磨くことはできません。今回の人生では必要ないと決めた上で持ち合わせていないのに、それを手に入れようとすることは、「本来の自分を生かす・自分らしく生きる」ことから遠ざかり、どんどん苦しくなっていきます。自分ではない誰かになろうとしているのですから、苦しくなるのは当然です。苦しいと感じるのは、魂が「違う、その方向じゃない。有るものに目を向けて」というサインを送ってきているのです。
ジャッジする“クセ”を手放す
比べることは自分自身を知る上では必然で、ジャッジはクセです。比べて、ありのままを受け入れ、優劣・勝敗などのジャッジをせずに自分を高めることに徹するのは、相当大変だと思います。私も長年染みついたジャッジするクセを手放すことには、今も向き合っています。
魂の成長には、コントラスト(対比・対照)が付きもので、比べるものがあるからこそ、大事なことや自分が大切にしたいこと、要は「自分自身」や「自分の在り方」に気づけるようになっています。
私たちは、優劣・勝敗などをジャッジするために比べるのではなく、自分自身を明らかにするために比べているのです。