食べたいものを食べる=魂の輝き
今、あなたの目の前に大好物が沢山あって、あなたはそれを好きなだけ食べようとしています。ところが、誰かがやってきて、「それを一切食べてはならない!」と禁止した挙げ句、あなたの好きでもない、嫌いなものを無理矢理食べさせられました。
このことに、あなたはどんな感情を抱きましたか?そして、その嫌いなものを食べることに意味を見出せましたか?
論じるまでもなく、理不尽極まりないし、意味なんて見出せないですよね。では、文脈を以下の内容に置き換えてみましょう。
・あなた → あなたの子ども
・大好物 → 子ども自身がやりたいこと
・食べる → する(行為・行動)
・誰か → 親であるあなた
・嫌いなもの → あなたの意向や意思でさせようとしていること
今、あなたの子どもの目の前に子ども自身がやりたいことが沢山あって、あなたの子どもはそれを好きなだけしようとしています。ところが、あなたがやってきて、「それを一切してはならない!」と禁止した挙げ句、あなたの子どもの好きでもない、あなたの意向や意思でさせようとしていることを無理矢理させられました。
これは理不尽ではないと感じましたか?それとこれとは話が別だと思いましたか?子どもなんだから、親の言う通りにするのは当たり前だと考えましたか?
子どもの“魂”にとって本当の喜びとは?
親が子どもの世話をする過程で、自分の意向や意思を子どもに強要してしまうのは、とても普通のことだと思います。子どもの望む方向が、親の理想や価値観と異なる時は、その方向に進むのを何とかやめさせようとするでしょうし、子どもが親の意向に沿ったら、親はそれで安心すると思います。
でも、魂は様々なことを経験したくて、この世界に生まれてきているので、親の意向に沿わせることは、子どもの魂が輝くために望んで経験しようとしていることを妨害していることになってしまうのです。
子育てをしていると、悩みは尽きないかもしれません。そこで、悩みの根源を突き詰めていくと、そこには必ずと言っていいほど、親自身の理想や価値観があります。そして、“その理想や価値観に沿った状態にならないと子どもは不幸だ”という観念に縛られて、子どもを枠にはめようとし、その枠通りになっていない子どもに苛立ったり、嘆いたりしているわけです。
子育てにおける悩みは、いってみれば、親自身の理想や価値観と、子どもの状態とのギャップです。もし、子どものことで悩んでいるのであれば、それは、“あなたが、子どもをあなたの枠にはめようとしていることに気づきなさい”というサインでもあるのです。