「不要」か「時期尚早」のどちらか
私たちは、自分にできないことがあるとつい、それができる人と比較して羨んでしまいます。
でも、意外に思われるかもしれませんが、私たちは、“現時点での自分”に必要な才能や能力は、実はすべて授かっています。授かっていないものがあるとすれば、それはその人の今世において必要ないか、もしくは、授かる時期がまだ来ていないかのどちらかです。(本人が能力を自覚しておらず、ある時にそれに気づく場合は後者になります)
必要ないのであれば、「そもそも必要ないものに囚われず、他に目を向けるべきものがある」ということになりますし、授かる時期が来ていないのであれば、「それよりも先に学ぶべきことがある」ということになります。
いずれにしても、今の “ない(できない)状態の自分” を肯定することが肝要です。まさに私がそうだったからわかるのですが、周りと比較して羨んだり、自分を卑下したりしているうちは、「これがあれば幸せ・あれがなければ幸せではない」といった不足・不満に意識が向いている可能性が高いです。
私たちは魂の成長のために生まれて、色々なことを経験します。何かを経験した先に、学びや気づきがあり、それによって魂が成長していきます。魂レベルではそれがわかっているので、現時点でできないことがあったとしても、それでも状態としては「今が完璧である」ことを知っています。単に、意識レベルで不足・不満の状態に陥っているだけなのです。
いずれにしても“授かる”
不安に陥ったり焦ったり、他人を羨んだり自分を卑下したりしてしまう時というのは、大抵、無いものに目を向けているのですが、その状況を味わい尽くすことで、ある時、「自分はこれだけのものを授かっていた」という、“既に在るものへの感謝”に気づけたとしたら、羨むことや無いものねだりをすることも、必要な経験や学びだと考えることができます。
今の自分の状態を肯定し続けていると、必要のないものだったら、「だから必要ではなかった」ということに気づく出来事や機会を授かることになりますし、時期が来て授かるのであれば、最適なタイミングで必要な人との出会いがあったり、思いも掛けないかたちで身についたりするようになっていて、「今までのこの過程が必要だった」ということを実感することになります。
ついつい不安に陥ったり焦ったり、他人を羨んだり自分を卑下したりしてしまうなら、まさに今、不足感・不満感を抱いている状態を自覚し、在るものに目を向けて感謝の気持ちで満たす状態に軌道修正する時期が来ているのではないでしょうか。
どこまで行っても周囲との比較ではなく、今の自分を肯定し、今の自分が授かっているものだけでしっかり生きる。そこに尽きるといっていいかもしれません。