私には、妻(当時)のお腹の中で一生を終えた子どもが一人います。この出来事で、彼女も私も心に深い傷を負いました。
決めてきている
お母さんのお腹から外へ生まれ出ることのない魂は、はじめからそれをわかっていて(決めてきていて)、お腹に宿っているといったら、信じられますか?
でも実際に「お腹の中だけを体験すること」を、魂の学びとして選択することもあるのです。
一方で、母として、女性としては特につらい経験となりますが、これを引き受けてくれる魂がいなければ成立しません。本当は、お母さんになる魂もそれを合意した上で、その役目を引き受けているわけですが、それを記憶から消してきているために、子どもを亡くした後は、深い悲しみに包まれてしまいます。
もしあなたがお腹に宿る側だったとしたら、そうした経験を引き受けてくれたお母さんに何を望みますか?
とてもつらい経験と引き換えに、自分の望む学びや経験をさせてくれた、ほんの少しの時間だけお母さんになってくれた魂には、そのつらい経験を乗り越えて前に進んでもらうことしか望まないのではないでしょうか。
心の傷が完全に癒えることはないとしても、立ち止まって前に進めないままだとしたら、子どもの魂は“ただつらい経験だけをさせて、苦しませている”というやりきれない思いを抱え続けることになります。
時間の長さではなく中身の濃さ
お腹の中の赤ちゃんが流れてしまったり、自ら鼓動を止めてしまったりすることもあれば、事情があって中絶する場合もあるでしょう。倫理や宗教観によっては、また、子どもに恵まれない人にとっても、中絶は受け入れがたい場合があると思いますが、それさえも、当事者の魂同士にとっては、第三者が計り知れないスピリチュアルな意味が含まれています。
いずれにしても、子どもの魂は、お母さんが自分を責めたり、塞ぎ込んだりしたままの状態を少しも望んでいないことを覚えておいてほしいです。お母さんがその苦しみを乗り越えて、何かの目的に向かって生きて、輝いてこそ、お腹に宿っただけの魂にとっては救いになるのです。
私たちはどうしても、“お腹から生まれ出た・出ない”で考えてしまうところがありますが、何年・何十年と生きてから亡くなっても、お腹から出ない状態で亡くなったとしても、「この世に存在した」という点では変わりありません。
「長く生きたか」よりも「いかに生きたか」がとても重要です。
お腹の中だけで今世を終える魂は、いかに生きたかという点でみれば、とても濃い時間を過ごしているといえます。
ここには、親と子ども双方の魂にとって、とても深い学びのテーマが存在するのです。