あなたが好きなこと・興味をもつことは、「魂の感覚そのもの」といえます。
思考ではなく感覚
私たち一人ひとり、好きなことや興味をもつことは決まっています。惹かれるという言葉がありますが、好きなことや興味をもつことは、頭で考えなくても、自然と吸い寄せられるような感覚があると思います。「よくよく考えた結果、とても好きということがわかりました」ということは、あまりないのではないでしょうか。
好きになろう・興味をもとう、と考えている時は、どこか無理が生じていることが感覚的にわかると思います。それくらい、私たちは頭で考えるわけではなく、「感覚的に」もしくは「ごく自然に」、好きになっている・興味を持っている、といえます。
幼少期は男の子の場合、興味をもつことに“ある傾向”がみられます。乗り物系なのか、ヒーロー系なのか、です。さらに、乗り物系でいうと、自動車か電車に別れたりします。もちろん、乗り物とヒーローの両方ということもありますが、私の幼少期の関心事は「乗り物系・自動車」でした。同じ乗り物系ということでは、電車にも多少の関心はありましたが、ヒーロー系については全く興味が湧かず、両親にはいつも車のおもちゃをおねだりしていました。
時期や流れもある
魂の感覚としての好きなことや興味をもつことがある一方で、その対象とのご縁は、時期や流れなどの“然るべきタイミングがある”とつくづく感じます。以前は全く関心がなかったのに、ある時から夢中になりはじめた、ということもあるでしょうし、その逆に、あんなに夢中になっていたのに、今はそこまで熱くなれないということもあると思います。
私は茶道を習いはじめて、もうすぐ2年になろうとしていますが、それ以前は茶道に触れる機会もなければ、興味をもつこともありませんでした。
会社員時代に、同僚にお茶会に誘われて、なんとなく面白そうだと思って参加したのが茶道に触れるきっかけでした。当日、着物姿で迎えてくれた同僚を見て、日常生活で着物を着る機会があるのは素敵なことだと感じました。茶道のお手前以上に、着物を着ることに強く惹かれたのです。
実は、着物を着ることについては伏線がありました。きっかけは、アニメ・ルパン三世に登場する石川五エ門です。
小学生でルパン三世を観ていた時は、着物姿の石川五エ門よりも、黒いスーツ姿の次元大介に憧れていました。刀よりも拳銃の方が格好いいと感じていたこともありました。ルパン三世が近年、数年おきに新シリーズが放映されて、それを観た時に、石川五エ門の生き方や言葉に感銘を受けるようになり、自然と着物姿にも惹かれていた自分がいたのです。
そうして私の着物に対する気持ちが高まってきたところでお茶会に誘われて、タイミングとしては調った状態だったといえます。茶道と着物に全く無縁だった私が、こうして今、着物姿でお茶を点てているわけですから、わからないものです。