解放感がすごい
先日、今の自分にとって、どうしても必要ではないものの、思い入れが強くて手放せなかったモノを、思い切って手放しました。ある意味で、自分の中では暴挙とも言えるレベルの手放しだったかもしれません。それくらい、思い切ったのです。でも、後に残ったのは、とてつもない解放感。自分の中で、ちょっとした世界変動が起こったような感覚です。やはり、思い入れは執着で、意識としては非常に重かったのだと、改めて実感しました。
私はモノを捨てられるタイプの人間ではありません。もともと私は、「いつか使うかもしれない・使えるのにもったいない・とりあえず取っておく」という思考パターンでしたが、今はそういった思考は手放しています。でも、「今ではそこまで強い気持ちはないけど、以前の自分にとっては大切だったモノや、大切な人からのいただきものだから、その人の気持ちを大事にしたいモノは手放せない」という思考がまだ残っていたのです。
実は、“何かを大切に想う気持ち”と、“(本当は既に必要ではなくなっているにも関わらず)それにまつわるモノをいつまでも取っておく状態”は、イコールではないのです。ここがイコールだと思い込んでいると、なかなか思い入れのあるモノを手放すことができません。まさに今回の私です。何らかの思い入れがあるモノには、反射的に“手放せないセンサー”みたいなものが発動してしまうのです。
わかっていても、割り切って手放すのに時間が掛かるのですから、これを頭の中で混同してイコールになっている状態だと、手放せないと思います。本当に少しずつでも、時間を掛けて自分自身の中にイコールではないことを浸透させていくしかありません。
相手の “魂” があなたに望むこと
あなたにとって、かけがえのない大切な人からのいただきモノは、いつの間にか、かなりの付加価値がついて、神聖なモノになっている場合があります。そうなると、既に必要ではなくなっていても手放すことは困難を極め、心の奥でモヤモヤを抱えることになります。
でも、そこであなたが贈り主の立場だったら、どう考えるでしょうか。
あなたからの贈り物であるというだけで、受け取った相手が、どうしても手放すことができずにいることを知ったら…
「そこまで大切に扱ってくれてありがとう。でも、必要がなくなったのなら、遠慮なく手放してほしい」
そんな言葉を伝えるのではないでしょうか。自分がプレゼントしたモノが大切な人の心を縛り付けて、停滞させてしまうような状態を一番避けたいはずです。仮に贈り主が意識レベルでそのように感じていなかったとしても、魂レベルでは、大切な相手には、その人が解放されて、エネルギー的に軽い状態であることを何より望んでいるのです。
贈り主の“魂としての想い”を大事にするならば、「大切な人からのいただきモノだから、手放したら申し訳ない」と捉えるのではなく、いただいた時に感謝するのと同じように、不要になった時は「しっかりと手放した方がよい」ということがわかるのではないでしょうか。