私たち人間は、“肉体を持った魂”です。一方で、 “肉体を持っていない魂”は、時に幽霊と呼ばれることもありますが、同じ「魂」であることに変わりありません。肉体を持たない魂や、肉体から離れる直前の魂は、肉体の制約がない状態で、自由に動き回れるし、人間の気持ちを読み取れます。
義母が示してくれた
間接的ではありますが、肉体を持たない魂の存在を、最初に私に実感させてくれたのが義母でした。義母の名前は和子さんだったのですが、孫やひ孫からは、“和ちゃん”と呼ばれていました。
義母が亡くなった翌日に、当時2歳になる直前の私の子どもが、我が家の誰もいない廊下に向かってごにょごにょとしゃべっていました。「誰と話しているの?」と訊くと、「和ちゃん」と答えるではありませんか。また、葬儀の日には、斎場から火葬場へ棺を移す時に、「和ちゃんがお空にピューッと上がって行っちゃった」とつぶやいたのです。
乳幼児は、波動の高い霊魂や高次の存在と、近くてつながれる周波数をもっているという話は、耳にしたことがあるかもしれません。
通夜振る舞いの席では、妻の友人の、霊感の強いご家族からも義母の情報がもたらされました。義母は通夜振る舞いの席にみんなと一緒に座っていて、楽しそうにしている姿が視えると私たちに知らせてくれました。
恥ずかしい話ですが、通夜振る舞いの終盤になって、義弟と妻と私は、会場の費用が手持ちで足りるかどうか、という実に世俗的な心配をしていたのです。ところが、斎場の担当者が伝票をもって来た時に、その金額を見て3人で思わず顔を見合わせてしまいました。なんと、手持ちの金額とピッタリ一致していたからです。「あぁこれは義母が計らってくれたんだ」と確信しました。
義父が望んだこと
義父は、妻(義母)を亡くしてから、10年近くずっと1人で暮らしていました。たまに私たち家族が顔を見せに行くと、とても嬉しそうな顔をするので、私はそれが見たくて、特に用事がなくても妻と子どもを連れ出したものです。
義父が最期を迎えたのは、病院のベッドの上でした。その日、私は仕事を終えて帰宅しようという時に、病院にいた妻から、義父が危篤になったと連絡を受けました。
私の他にもまだ病院に駆けつけられない近親者が何人かいたのですが、心拍数が低下してきた時に、その度に妻が耳元でまだ誰それが到着していないとつぶやいたら心拍数が回復したと、最後に到着した私に話してくれました。義父は皆が到着するまで待ってくれていたようでした。
長い間独りで過ごしていた義父が、最期は子どもと孫とひ孫に見守られたことに、当時の私は救われた気持ちになったのですが、今にして思えば、これは義父が望んでいたことなのだということがわかります。
最期に立ち会えたかどうかを気にすることがあるかもしれませんが、それはあくまでも肉体を持っている魂である私たちの思いです。肉体としての命が尽きても、魂は消えてなくなるわけではありませんし、魂だけの存在になると、常に側に居ることができるようになります。魂は、そのすべてをわかっていて、自分の最期をどうするか決めているのです。