過去世を知る目的は何か?
“過去世で誰だったのか”とか、“どんな過去世を送っていたのか”といったことを知ることは、一時的な好奇心が満たされるだけに留まってしまい、そこから今回の人生を拓いていくことにつながらないケースもあります。
そういった意味では、過去世を知ることは、今世を生きていく上で必要不可欠なことではありません。過去世を知ることが、今世を生きる力になる人もいると思いますが、逆に過去世を知ることで、今、思うように生きられていないとか、幸せじゃないという意識を、過去世がそうだったから仕方ない、というような、言い訳にしてしまう場合があるからです。
何をおいても、“今をいかに輝かせるか”ということに尽きるので、今世とは違う過去世を知ったことで、向き合うべきことに向き合わず、何でもかんでも過去世のせいにしてしまうくらいなら、かえって知らない方がいいでしょう。
私はサイキックリーディングで、過去世についてもリーディングすることがありますが、リーディングは、あくまでもクライアントの守護霊がクライアントに伝えようとすることを読み取ってお伝えするのであって、クライアントが望む内容が伝えられるとは限りません。
守護霊は、クライアントの魂の成長だけを願っているので、魂の成長につながらないと判断することは、お願いしても教えてくれることはないのです。知る必要がないこと、知る意味がないことは、情報としてはもたらされないのだということを、しっかり押さえておく必要があると思います。
過去世への執着は曇りにつながる
スピリチュアルでいう、“必要なものは、最適なタイミングで授かることになっている”という観点からすると、もし、ある特定の過去世を知ることが、今世を生きる上では必要なことだとすれば、必ず最適なタイミングで知ることになるでしょう。授かるというタイミングのポイントは、自分で画策して何が何でもどうにかして知ろうとする力が入っている状態よりも、力が抜けた状態でいる時に、フッと思いがけずにもたらされる、という感じでしょうか。それが必要な人との出会いであったり、その人との出会いにつながる機会や情報であったり、ということだと思います。
要は過去世に限らず、特定の情報を、その人がしっかり咀嚼して今回の人生を好転させていくことにつなげられる状態にあるかどうか、ということになります。
“しなければならない”とか、“こうあるべき”といった執着にも近いような、何が何でも知りたい!という状態では、仮に何らかの過去世の情報を知ったとしても、それをうまく消化できる“ゆとり”があるとは思えません。視座も低いし、視野も狭い、そんな状況で得た過去世の情報は、結局極端に偏った解釈しかできず、今回の人生にうまく落し込みができるマインドにはなっていないでしょう。もしそれが、人生に活かせるとしても、それを知った時ではなく、もっと先になるのではないでしょうか。
“今現在やこれから先の人生を輝かせることに、どうつなげられるか”という心持ちが前提なら、過去世を知ることは、プラスになるかもしれません。“今の状況に向き合いたくない”という状態が前提になっているのなら、その状態で過去世を知ることは、むしろマイナスに作用してしまうかもしれません。
過去世を知ろうとする前に、まず、今の自分自身の心の在り方がどういう状態かに目を向けることをおすすめします。結果的に、“過去世に執着していただけかどうか”がわかると思います。