その他

共通言語として存在するスピリチュアル

常にそこに存在するもの

スピリチュアルの世界というのは、たとえ目に見えなくても、そして信じなくても、常にそこに存在しています。

一方で、スピリチュアルが受け入れられておらず、“目先の利益や優劣・勝ち負け・価値があるかないか”といったことが支配している社会があります。優劣や価値の有無などが尺度になれば、怒り・妬み・劣等感・無価値観に代表されるようなネガティブな感情が渦巻くのも、ある意味では仕方のないことかもしれません。

スピリチュアルの目線を抜きにしたとしても、「今回一度きりの人生」という点に変わりはありませんが、私たちは魂を成長させるために繰り返し生まれてきていることを考えれば、今回の人生でも“いかに魂の成長につなげるか”が目的になります。

他人と比べて上か下かといったことや、優れているか劣っているかに囚われていると、進むべき道を見失ってしまいます。周囲の人の目線を気にしたり、誰かと比較したりせず、自分自身と向き合い、自分をいかに高めて輝かせるかが魂の成長の鍵になります。

こうして表現すると、シンプルですが、それがすぐにできるようであれば苦労はありません。それは、私自身が迷い、立ち止まってきたからこそ実感するところでもあります。

私たちは本当にスピリチュアルとは無縁なの?

初詣に限らず、日常で神社を参拝する人は多いと思いますが、スピリチュアルは信じていない、もしくは認識していないという人でも、神の存在は潜在的に意識しているのだと感じます。

また、仏壇に手を合わせたり、お盆やお彼岸にお墓参りをして亡くなったご先祖を偲んだりするということは、霊魂の存在を潜在的に意識しているのではないか、とも感じます。

私たちは視覚的に認識できるものしか信じない傾向がありますが、これはこれでとても普通のことだと思います。この世の中で視覚的に認識できないものが95%とも言われているくらいですから、ここからスピリチュアルになかなか結びつかないのかもしれません。

でも、“本当に大事なことは目に見えないもの”なのです。そういった意味では、スピリチュアルをはじめ、目に見えない世界は“あるのかもしれない”と考えてみることは、潜在的に、そして無意識に感じている何かとつながるきっかけになるのではないかと思います。

一度スピリチュアルを受け入れると、堰を切ったように次から次へと自分の身の回りのこんがらがった事情がほどけていく感覚を味わうことになります。そうなると、その存在を認識せずに生きていた自分にはもう戻れなくなります。

はじめはスピリチュアルを“受け入れること”ができないとしても、「そういった世界があるのかもしれない」と“受け止めること”が、これまでの苦しい世界を抜け出す一歩になるかもしれません。

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