好きなことや興味のあることをするのは、自分自身を大切にすることでもあり、それによって魂は喜び、輝きます。
思い出す時が来た
でも、「好きなこと、したいことがない(わからない)」という話を聞くことがあります。自分のことを後回しにして周りを優先してきたり、誰かの言われたとおりに生きてきたりすると、そうした状態に陥りやすいようです。
私も、両親の価値観や意向を汲み取り、自分の意思や気持ちを抑え込んでいましたし、家庭をもっていた頃は自分の好きなことやしたいことは常に後回しにしてきました。
常に周りを優先する・誰かの言われたとおりにしている状況下では、自分の気持ちや思いを色々と我慢しているわけですが、我慢が“常態”となると、いつの間にか我慢していることさえも自覚できなくなってしまいます。
自分のことを優先できる・自分の意思で行動できる状況になった時、いわゆる“我慢常態”を脱した時に、「はて、どうしたものか?」と、わからなくなっていることに気づくのです。
でも、ある時期になって、「好きなこと・興味あることがわからない」と気づいたということは、自分自身について考えられる余裕が出てきた、ということです。それまでは、自分と向き合うことをしてこなかった、もしくは向き合えない状況を余儀なくされていたわけですから。
わからない状態に気づいたのは、まさに“自分と向き合える時期が訪れた”というサインであり、非常に喜ばしい状況なのです。
誰にでも備わっています
魂は本来、好きなことや興味のあることが備わった状態でこの世に生まれてきますから、それがわからなくなっているのであれば、思い出すためのリハビリのようなものが必要になります。
私たちには誰ひとり例外なく、好きなことや興味のあることに対して反応するセンサーが備わっています。そして、そのセンサーはいつでも発動しているのですが、我慢が過ぎると、センサーから受け取った感覚を打ち消してしまうのです。
まずは、「好きなことや興味のあることに発動するセンサーを持ち合わせていることを認識する」、それがスタートラインに立つことになると思います。
それから、もうひとつ、これまでの人生を決して否定しないということです。
わからないことに気づくまで、人によって我慢常態の時間の長さや程度は異なります。気づく時期は、決して早過ぎることも遅過ぎることもなく、最適なタイミングです。「私は気づくまでにこんなに年月を掛けてしまった」のではなく、「気づくためにそれだけの年月を掛ける人生のシナリオを描いてきていた」のです。
そして、好きなことや興味のあることを思い出すにあたっては、思い出し方やペースが人それぞれですから、当分の間は自分とじっくり向き合う期間と捉えて、焦らず慌てず、気長に取り組むことをおすすめします。