いつの間にか執着になってる?
何かを手放すと、それに代わる新しい何かが入ってきます。この“新しい何か”というのは、その人にとって “プラスになるもの” と捉えることができます。それは、手放したものが執着であることが多いからです。
多かれ少なかれ、誰でも何らかのこだわりをもっています。こだわりがあること自体は悪いことではないのですが、それが行き過ぎて執着になると、かえって自分を追い込んだり苦しめたりすることにもなりかねません。その対象となるのは、目に見える物や人だけでなく、価値観・判断基準など様々です。
一方で、執着が大きければ大きいほど、それを手放した時に引き換えに手にするものは、同じくらい大きいか、もしくはそれ以上に大きいということが言えます。執着はひとつの“意識”であるわけですが、執着の意識は自覚していなくても重くて大きいものが多いかもしれません。
“これは執着だった”と自ら気づいて手放せるといいのですが、時には半強制的に手放さざるを得ない状況になることもあります。手放した直後は落胆することがあっても、それはそれで「あなたにとって、これは不要なものだから手放しなさい」というメッセージである場合があります。
新しい何かを手にするためには
“両手一杯に何かを抱えていて、これ以上持てない”という状態では、そこで何か他に欲しいモノが出てきたとしても手にすることはできません。抱えているモノのうち、何かを放して手を空けなければなりません。
これは、エネルギーとしても同じです。理想とする自分や、変えたい現状があるとして、“今あるエネルギー”を手放さなければ、理想の自分に近づくために必要な新しいエネルギーが入る余地がありません。そして、“今あるエネルギー”というのが、今囲まれている物・人間関係といった環境や、観念・価値観といった意識になるのです。
私自身振り返ってみると、何かを手放したことにより、新たな別の何かが入ってきた経験としては、小さなことはたくさんありますが、大きいこととして、結婚生活とサラリーマンの2つがありました。
今度、それぞれのエピソードをお話したいと思います。
※アイキャッチ画像の床に掛けられている軸は、「行雲流水(こううんりゅうすい)」と書かれています。
行雲流水とは、“空を行く雲や流れる水のように、物ごとに深く執着せず、自然の成り行きに任せて行動するさま”を表現した言葉です。